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ミャンマーでの活動


それは、かれこれ

8年前くらい?になるでしょうか

ジャパンハートの長期看護研修に参加しました。

この当時の理由は、私にできることでできる人助けをしたい。

それと同時に、自分自身のスキルも磨きもっともっと

学びより手術室看護師としてより磨きをかけて

世界のどこの術場へ行っても、通用する看護師になりたかった。

そして、夢は世界中を飛び回る医師とともにあうんの呼吸の介助でより

多くの手術を成功させる手助けをしたい。でした。

でも、現実はそんなに甘くなく。

私のできることは少なく。ミャンマーという現地の生活に翻弄され。

コミュニケーションもうまくとれず。

自分自身をうまく表現できない。

その日を乗り切ることで体力をうばわれ

日々すぎていくしまつ。

ミャンマーでの活動は、とことん自分という人物と向き合う時間でした。

それから、長期研修中の間に

長崎の上五島列島で研修がありました。

これは、国内の医療の届かないところへ医療をとどけるという

プロジェクトでした。

ここで、私自身国内では初めて。病棟勤務という業務にたずさわりました。

人生初の病棟はミャンマーでの勤務だったので

システムが整った日本の病院のすばらしさが

身に沁みました。

でも、このころの私は、すでに看護師という自分にすっかり自信をなくしていました。

大きな夢を描いたものの

現実と自分の能力のギャップ。自分自身の力を信じることができませんでした。

そう。できない。できない。できない病が私の心に渦巻くのでした。

ただ、この経験を通じて

学び方とか、苦しいときの自分の癖。などたくさん学び。ものの見方、とらえ方も知らず知らずのうちに 鍛えられていたのかなと今では思います。

そのような、経験が

またいつか、ミャンマーで活動したい。

私は、恵まれている人間だから困った人をまた助けたいと。

また、当時ミャンマー現地の活動で助けられたのは私だったのだと。

と思う心が

今の起業へと突き動かす原動となっています。

そして、ミャンマーで出会った 子ども達の元気な笑顔が忘れられません。

看護師を続けながら、起業の選択。

もともと、商売人である父の子でもある私。

そういう血がながれているのだと

思います。

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