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文筆家さん


こんにちは。

今日は、ながーいです。


「僕は、図書館に行くと怖くなる」

という表現をされた先生の影響を受けた

という、

文筆家・書評家の三宅香帆さんのお話を自分(私)のことを

すり合わせて書きたいなと思います。


文頭に出てくる、図書館に行くと怖い の解説には、

まだ知らないことがこんなにもあるのか。ということを思い知らされるということで

怖い という表現になったそうです。死ぬまでにこの本たちを読みきれないと思わされる。


本 が大好きな三宅さんは,

その言葉を受けて

人生は有限で、こんなことしている場合じゃない。と人生の転換点の言葉だったようです。


そのことを読みながら、

そういう捉え方や感覚がある方なんだ。と思いつつ


私がもしたくさんの本を見て 表現するなら

こんなに本があるのかぁ、こんなに本があることを知れたことに ありがたい!本当に

幸運だと思う!と思うだけのように思いました。笑


文学者の言葉の読み方が深い、知的だなぁ

すごいな。と学びました。


さて、なぜ?三宅さんが突然出てきたかというと

看護に関する何かの資料を探しているときに、三宅さんのウェブサイトにヒットし

私が一方的に知る作家さんというポジションです。


三宅さんの可愛らしく女性らしい柔らかな雰囲気が伝わる写真付きで、

そこに書かれている内容も素敵で 本を読んでみたいな。と思った方です。


三宅さんに関するあれこれが出てきて「大学生活と一冊の愛情」という

題名の

書き物に出会いました。


これを読み

私が持っていた色々な情報が 交差する感じがしました。


その内容は、以下のURLからアクセスできます。


ー恥ずかしい話だが、学生時代の自分がいちばん飢えていたものは愛情だったように思う。

……と、いちおう恥ずかしい話だが、と書いたけれど、内心そこまで恥ずかしい話だとは思っていない。ー


と綴られていきます。


私はそうだなぁ。って思いながら文章を読みました。


青春時代のことを私が興味を持ち考えるのか?と言いますと


来年春、高校生〜大学生とカンボジアへ行く準備を進めています。


高校生は、山口県内東部の学校で募集がなされ

大学生は、以前カンボジアへ行ったことのある学生や高校時代カンボジアへ行くために

行動を起こした学生さんが中心でお話しを進めています。


高校時代カンボジアへ行くために行動を起こした学生さんというのは、コロナを影響を受けて

渡航が中止となった学生さんです。


その大学生さんや専門学生さんたちとお会いし、お話しをする機会があります。


大学生にもなると、生まれ育った環境から離れて

社会と繋がり始めます。


そこでの人間関係の構築を自分の力で

形成していく。という機会が多くなります。


親元では、自分を理解してくれている馴染みの環境ですが


一人暮らしは、初めてとか 色々が初めての人たちと 

お互いの理解からはじまるステージが待っています。


自分の軸で色々選べる楽しさ 

自分が思っていた 普通 が通じない矛盾などにたくさん

出合います。


学生らのお話しや体験談を聞くと

理解し合うこと(愛情)についてのお話しになることがあります。


高校、中学までは、育ててくださる大人が近くにいます。

守られています。外で上手くいかなくても、理解してくれる方が身近にいる状態です。


そして、年を重ねると、家庭を築く方もいるでしょう。または、コミュニティが拡大し

再びよりどころが形成され理解について一旦落ち着くと思います。


そのため大人の世代は、大学生時代の時よりも

その愛情(理解)については、少し落ち着くように思います。



ですから、学生時代の理解ある場所というところは 

とても大切な場所(人)になるように私は思っています。



そのような環境の変化で、大学生時代の三宅さんは、

「自分を理解してくれる人がいない、愛してくれる人がいない(略)思春期の特徴のひとつだと聞いたことある」「大学生の時私にもっとも愛情を与えてくれていた相手は、(略)本、だったと感じている。」と書いていました。


中学、高校生ではどういう方向に進みたいのか?と考える時期

大学生は 自立という準備期間で

自身の人生の基礎のようなところを構築しいく

とても揺らぐ時期なんだなと改めて思いました。


目標に向かい。何かを得ることや獲得する達成することはとても大事です。

ですが、そこに 理解し合う(愛情)というワードが

それに深く関わり

とても重要な部分を占めているかも?と感じました。


私も自分のことを振り返りました。

東南アジアへ行きたいと思った20代の頃

私の考え方に一番共感して応援してほしかった人に応援をしてもらえなかった。ことがありました。

それは、父であったり当時お付き合いしていた方です。


母は応援団でいてくれました。

それだけに限らず、当時応援してくれる仕事場の仲間もいました。

ですが、なぜでしょうか。私は、そこへ目線や気持ちを持っていくことができませんでした。


父からの愛情(理解)を欲していたのでしょう。と今だから言えます。


東南アジアでの現地で同僚の方にお話を聞くと、

「私のこの活動を両親もすごく応援してくれているから」という方もいて

とても羨ましく思った記憶があります


私の心は、

グサグサ。と傷が疼く感じがしていました。


私は、アジアの地の この道は素晴らしい。と

振り切って出ていきました。いや、実際は 後ろ髪を引っ張られた気持ちでいっぱいでした。

いやいや、言われたことなんて そんなこと考えない。と思いながら

海外へ行ったのですが、距離をとっても 私の記憶に残る あれこれは 距離に関係なく

ふとした時に、ひょっこりと 出てくるのでした。


心が死にかけたとき応援してほしかったと思う方のメッセージが響くのです。

それは、諦める 選択を推すことになりやすいです。


私は、それほど強くなく、経験も少なく。できることもほとんどないな。と


どうすれば自分が思い描くことができるようになるだろう?環境が整うかなぁ?

そのことを考えながら

再出発したほうがいいな。という道を選んだり、あれこれ模索しなが

今があります。


色々な経験を得ていく中で、

自分のことを少しだけ理解してくれているのかも?と思う

小さなきっかけ に何度も 助けられました。


そのような経験から


これから頑張ろう!と意気込みながらも ドキドキしている 学生さんには 

少しでも よかった と思えるきっかけを つかんでいただけるように

愛情を注ぐ側でいたいと思いながら

今関わっています。


多角的な、愛情を注げる環境 私はとても大事だと思います。



私の両親も初めて人生で親という役割を担っています。

極端に言えばお互いに 未熟であり、成長過程なのです。

だから、お互いにどうすればいい環境になるのか?を学びあう同志なのだと

私は思います。


私は、失敗の方が圧倒手に多いです。いまだに、ため息ものですが。どうすればよくなるか?を考えることは好きなので。色々ウェルカムです。笑


これらの経験は、これからご一緒する時間がある方へは 全力解放するようにしています。



人生つまづくことは  たくさんあります

間違いから学ぶ機会は たくさんありますのでね。


答えを教えたとて、つまづくことは やはり起きるもの。


現場で起きることは あれやこれありますが、終わった時は結果

どれも正解だった思える時間です。


そんなこんなで、過ごしてきて


共に成し遂げることは、とても貴重だと思うのでした。

協働できる時間は本当に短く貴重だと思っています。


袖振り合うも多少の縁 という言葉にあるように

大事にしたいです。


というような、ことを思い出しながら

学生らは どんな感じで 楽しみを拡大していくのかな?と私も楽しみです。


さて、人の人生は多様です。


理解することについては、理解しきれないこともあるのですが

それを自分がどれだけ受け入れることができるかが 大切だと思っています。


三宅さんも100%なんて不可能、30%の現状を75%に上げようとする、理解に基づいて行動と関心そのものが愛情ではないか?と思う。と書かれていました。

とても共感する部分です。


愛情の裏返しの言葉は、「当たり前」とか「無関心」と聞いたことがあります。

あたりまえの存在はないのかな。出会えたことに感謝



三宅さんにとって「本」はかけがえのないものと語られていました。


本が彼女にとって色々学ぶべきヒントが隠されている 道 なのだな。と感じたのでした。



それを今日、自分自身に当てはめてみて考えてみました。

私は、本だろうか?なんだろうか?看護師?サロンのこと?糖尿病のこと?形成外科?

美容診療?東南アジア?田舎のこと?さてはて?とどうかな?と彷徨うのかな?と一瞬客観的に見ていましたが



私は、人との出会い に尽きます。


出会いの 歩みにあると思っています。


私は、この人に会いたい!って強く想って想いちぎって 出会う。ということではなくて

普段の暮らしから 全て 必要な人たちと 出会うようになっている感覚があります。

実は、昨日もそのような出会いがありました。

狙ったわけでもなく、ただ相談できるところがあるから。という情報があったので

行った先に 出会いがあったのでした。


時々、この方に声かけたい。でも声かけられない。話したい。話せない。という

モジモジすることもあります。

で、そのモジモジも結果モジモジし続けて、声かけられないモジ子で終わることもあります。

でも、それが結果よかった。となるのです。


もじもじ女子になっていて、でも話がなぜかできてしまうこともあります。または、もじ子なしで

自然とお話しすることももちろんあります。


モジモジしながら声かけて意見がまとまらない状態で怒られて終わることもあります。


そんな色々なパターンがあるのですが、出会いがある中で私は、

三宅さんが愛してやまない「本」に出会いました。

色々な方や物事に出会うことで

それぞれに大切にしている世界観にまた出会い、学び、癒され、良い相乗効果が出ていると感じています。


そして、それが全て結果として私自身も元気をいただいたりという流れるようになっている

私の世界があります。


何になりたいの?と時々聞かれます。

職業は、就かせていただいた生業を大切にしています。


これは、私のとてもとても大好きで尊敬する方の 印象に残っている言葉の真似をして

何になりたいの?の答えは、

佳子です。


佳子は、美(佳)しい子・佳日の佳であり、縁起良く、賢い子になるようにと

両親からいただきました。


名前負けしちゃいそうと 、、、両親から意味を聞いた時思っていました。

今は、それに近づけるように 楽しんでいます。


最近知ったことなのですが、


人が土の上に土を積むバランスの良い形

人の資質(土)の良いところを発掘し、それを伝え(土)応援


佳妙な言葉で人を一から了まで、応援する子


という意味もあること。

これを知ってから、

なりたい姿は全て私の名にある。とわかったのです。


そして、どんな人生にしたいか?

私は、平和な世界で 生き抜く。

みんなで 楽しむ。


それだけです。


色々な考えや理想があると思います。皆様はどんな感じですか?


では、良い1日をお過ごしください⭐



caon









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